会員の声

変化した「新しい自分」に出会えました!(男性30代)
私は2004年にキリスト教福音宣教会で御言葉を聞くようになり、信仰を持つようになりました。教会に通うようになって、私は多くの宝物を得るようになりました。神様の愛、真理の御言葉、夢、希望、苦楽を共に…
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<本当の愛>とは何かを教えてくれた!(女性30代)
私は、幼いころから今に至るまで、とても恵まれた環境で育てられてきたと思っています。愛情豊かな両親や祖父母からはいつも可愛がってもらい、家庭だけではなく周囲の人たちや環境にもとても恵まれ、元気で伸び伸び!な子供時代を…
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聖書は必要ないと主張していたが…(女性50代)
私(写真前列左)の家族は、全員がキリスト教福音宣教会の会員です。私は5人家族のうちで、最後に聖書の話を聞くようになりました。ヨガのインストラクターの仕事も充実しており、海外旅行も大好きで人生を楽しんでいたので、娘たち…
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お子さんが信仰を持つことにご不安、ご心配される親御さんもいらっしゃるかと思います(男性40代)
こんにちは。私はキリスト教福音宣教会の牧師を務めており、また二児の父親でもあります。私がこの教会に導かれたのは、大学4年生になる直前の春休みでした。正直いって、それまでの私は、世間から見たらそれなりに成功している人…
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「私は2004年にキリスト教福音宣教会で御言葉を聞くようになり、信仰を持つようになりました。教会に通うようになって、私は多くの宝物を得るようになりました。神様の愛、真理の御言葉、夢、希望、苦楽を共にする仲間たち……。その一つ一つがかけがえのない神様からのプレゼントであり、私の宝物です。御言葉を聞き、祈り、賛美する時間や教会の仲間たちと過ごす楽しい時間。何気ない1日でさえも、幸せで満ち溢れています。
多くの宝物の中で、神様からの一番のプレゼントは何かと考えた時、それは新しい自分、変化した自分に出会えたことだと思っています。御言葉に出会い、神様に出会い、キリストと出会ったことで、私の人生に奇跡が起こりました。私の人生が、私の生き方が、私のすべてが変わったのでした。信仰を持つ前の私を知っている友人には、「本当に変わったよね」と驚かれます。
キリスト教福音宣教会に出会う前は、人生を生きる目的も人生の夢もなく、自信が持てないでいました。だから自分の弱さを人に見せたくなくて強がって生きていました。しかし、今は私は自分自身が弱い存在であるということを告白できます。
御言葉を学ぶことで私は自分自身があまりにも弱く、足りない存在だと分かるようになりました。使徒パウロはピリピ人へ宛てた手紙の中でこのように語っています。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。〝ピリピ人への手紙4章13節〟」と。私もまた告白したいと思います。『わたしを愛して下さるかたによって、何事でもすることができる』と。
全能なる神様が私を愛してくださるから。主が私のために愛で十字架を負ってくださったから。御言葉が人生を生きる目的を与えてくださったから。
私は自信を持って人生を歩むことができるようになりました。私は弱いけれども強いのです。
イエス・キリストが「また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう〝ヨハネによる福音書8章32節〟」とおっしゃったとおりに、キリスト教福音宣教会で教えていただいた真理の御言葉によって、私は本当の自由を得ました。
私の人生に起きたこの奇跡を想うと感謝が溢れてきます。そして、この奇跡を語る上で、鄭明析先生のことを抜きにすることはできないと思います。
ペテロやパウロはイエス・キリストの愛とその生き方に感動して、偉大な人生を生きるようになりました。そのように私も先生の生き方に感動を受けて、自分もあのように人生を生きたいと思ったのが、変化のキッカケでした。神様を愛して、神様の愛で人を愛する。真実で偽りのない、先生の姿に私は感動しました。その感動があったから私は変化することができたのだと思います。
最後になりますが、私の人生に素晴らしい宝物を溢れるほど与えてくださっている神様に愛を告白します。ありがとうございました。」

「私は、幼いころから今に至るまで、とても恵まれた環境で育てられてきたと思っています。愛情豊かな両親や祖父母からはいつも可愛がってもらい、家庭だけではなく周囲の人たちや環境にもとても恵まれ、元気で伸び伸び!な子供時代を経て成長してきました。
そんな私が、生きていく中で一番探していた、人生で一番求めていたのは、「本当に愛する人」「変わらない愛を成せる人」でした。異性を好きになったことはありましたが、たとえ真実に愛し合ってもどちらかが先に死ぬかもしれないし、限界を感じました。「永遠」とか「変わらない」とか、そもそも存在しないのでは?所詮、人間の愛はそんなもの…?と、色々考えていました。
そういう思いを抱きながらも、大学生活では部活に明け暮れ(体育会系女子!)、元気に生きてはいました。日々をそれなりに楽しく過ごしながら、続けて「愛」について考え、それでもはっきりとは解かれないままでした。答えをくれる人は見つけられないまま大学4年生になりました。
その年の夏、10年来の親友の紹介で教会の仲間たちに出会いました。中学高校とミッション系の学校に通っていたので抵抗が無く、聖書を楽しく学び始めました。学校で習っていた聖書はフィクションの物語のようで、ちょっと理解し難い本だと思っていましたが、ここで聞く聖書の話は、全く違うものでした!面白かったし、また自分自身に該当して、とても興味深く学ぶことができました。そして神様を知るようになりました。ここでの神様は、ただ頭で考え、イメージするだけの対象ではなく、生きて働かれる存在者だということを、実際に自分自身が体験をしながら、はっきりと知りました。そして、この神様の愛こそ、私がずっと探していた「変わらない愛、永遠な愛、真実な愛」だ! と気づくようになりました。それに気づいた時、「おぉ! やはりそんな愛はあったんだ!!」と、とても感動し、空想でも妄想でなく、<本当に存在する無限の愛>を知るようになりました。
また、愛の実践者である先生に出会って、人間としてこのような愛を実現できるんだ!と知り、大きな感動を受けました。一番知りたかった「愛」はもちろんのこと、「人生の目的」もとても明確になり、「自分自身の価値」もはっきりと知るようになりました。
それまでの人生も足りないものはあまり無いように思っていましたが、御言葉を聞いてみると、人生の根本の問題がはっきりと解かれ、より確信と喜びをもって生きていけようになりました。恵まれていたとしても、漠然と生きていくしかなかった人生の道をはっきりと教えてくれたのが、先生でした。そして今は、それを自分の中だけに留めるのでなく、それを求めている人に伝えていくことが私の喜びにもなりました。特に自分の後輩たちには、自分自身が経験したこととして「若いうちに人生の道を学ぶ大切さ」を話していきたいと思っています。
今まで育ててくれた両親や関わって下さった全ての方々への感謝は尽きないのはもちろん、私の人生の道をはっきりと照らして下さった先生に出会い、キリスト教福音宣教会の仲間に出会い、今こうして日々喜んで甲斐をもって生きていけることに、心からの感謝を捧げます。」

「私(写真前列左)の家族は全員がキリスト教福音宣教会の会員です。私は5人家族のうちで、最後に聖書の話を聞くようになりました。ヨガのインストラクターの仕事も充実しており、海外旅行も大好きで人生を楽しんでいたので、娘たちに勧められても「自分には聖書は必要ない」と主張していましたが、そんな私の霊魂を衝撃的に掴んでくださったことがありました。
娘たちに連れられ、韓国の鄭明析先生の故郷に初めて行ったときのことです。行きの飛行機の中で、不思議とそれまで旅したイタリア、アメリカなどと、印象に残った場面が次々に浮かんできました。正直、ウォルミョンドンにはそれ以上のものは期待していなかったのですが……。いざ現地に到着すると、咲き誇る春の花々に迎えられて、「うわ~、天国みたい!」と思わず感嘆の声が出ました。
翌日の礼拝は先生の説教を聞きましたが、御言葉の中で 「私はイタリアのミラノ大聖堂、世界の有名な画家や彫刻家が長い歳月をかけて作った芸術を見たし、アメリカのグランドキャニオンも訪れました。是非とも両親を連れて来て見せたかった。そしてここウォルミョンドンもすべて神様の作品です」と、なんと私が飛行機の中で回想していたことをそのまま説教で語られたのです。御言葉の中の短いお話でしたが、私は驚いて、熱く叫びたい程の衝撃を受けました。
お会いしたことのない先生なのに、私の心を分かって、神様が先生を通して歓迎してくださっているように感じました。遠い存在だった先生が身近に感じられ、その話の続きを、すぐにでも語り合いたいような心境になり、とても嬉しくなりました。
私は世界のあちらこちらを旅して回り、各地で神様の作品にたくさん出会いましたが、ウォルミョンドンほど神様を実感できる場所はないと思っています。なぜなら、そこで私は確かに神様に出会いましたし、そのように多くの人々も神様に出会える場所だと、行くたびに実感するからです」。

「こんにちは。私はキリスト教福音宣教会の牧師を務めており、また二児の父親でもあります。
私がこの教会に導かれたのは、大学4年生になる直前の春休みでした。正直いって、それまでの私は、世間から見たらそれなりに成功している人生だったかもしれません。
しかし、私は小学生のときから、自分は何のために生まれ、どのように生きるべきなのか、人生の意味と目的を知りたくて悩んでいました。それで多くの本を読み、大学のゼミでも哲学を専攻し、様々に模索しましたが、その答えを見つけることができませんでした。

そんな折、友人から勧められ、この教会で聖書を学ぶようになりました。そこで初めて胸がすっとする答えをもらえて、長年抱えていた問題が解けました。その時に出会った、教会の人たちはとても温かく、人として尊敬できる人ばかりでした。彼らが鄭明析先生の御言葉と人格を学んでそのように成長したと知り、驚きました。 その後、ヨーロッパ、アメリカ、アジアと世界各地で同じ教会の人たちと交流する機会が何度もありましたが、先生の教え通り、キリストの愛と平和の精神が息づいていて、初めて会った人たちなのに、ずっと共にしてきた親友のように感じて、本当にここで平和な世界が実現できるんだと認めざるを得ませんでした。だから、私も自然と先生のような生き方をしたいと思うようになりました。先生の精神を学ぶことで、幼い頃に描いていた世界平和の夢も、必ず成せるだろうと思いました。先生のように生きようと努力をするうちに、実際、私自身が変化していくのを感じました。性格の短所も少しずつなくし、これまで考えていた狭い考えやビジョンが大きくなっていきました。

そして何よりも大きかったことは、創造主・神様をはっきりと知ることができたことです。私はミッション系大学の出身で、聖書も必須科目でしたが、そこでは全く価値も意味もわかりませんでした。しかし、先生の教えは圧倒的に説得力がありました。実は、後でいくつかの宗派の教会などに足を運んだこともありましたが、非常に物足りなく感じられました。なぜなら、先生の語る御言葉では、見えない神様を、キリストの精神そのものを、自らまず実践し、その体験を教えてくださったからです。だから聖書に書いてあるキリストの教えと生き方をたやすく理解できました。たとえば、初めて会う人たちにも、何の見返りも求めず、ただひたすら与え、仕え、愛し、赦すこと、敵を愛すること、このように到底できないだろうと思われることを、先生自ら実際に私たちの前で行なってくださいました。それを見て、神様の愛が実在するのだと理解を深め、受け入れることができました。そして自分自身が、先生のおっしゃる御言葉どおりに行うたびに、神様の御働きを頻繁に体験したので、信じる心が信仰へ、信仰が確信へと変わりました。
私が直接お会いした時の先生は、神様をひたむきに愛する姿であり、毎日朝早くから神様への祈りと礼拝を欠かさず捧げ、目の前にいる恋人に仕えるようでした。そして同じく私達にもそのように接してくださいました。いつお会いしても、家族以上に、時には恋人に接するように真心で大切にしてくださいました。まさに隣人愛です。日本に来られた時も、朝から私たちの思いをくんで共に過ごしてくださりながら、夜には行列ができるほど多くの人の相談や面談に徹夜になっても応じ、最後の最後まで一人一人に惜しみなく愛と真心を全て注いでくださいました。
最後になりますが、お子さんが信仰を持つことにご不安、ご心配される親御さんもいらっしゃるかと思います。ぜひ、お子さんの今の姿を見て、彼らの真摯な思いに向き合い、話を聞いてあげていただきたいです。私たちの教会に来る人たち、特に若い世代の人たちは、現代社会の中で、自分の人生について、将来について、真剣に考え、向き合っている人がとても多いです。正直、私が聖書を学び始めた当時も、間違った宗教が世間を騒がせており、私自身も宗教への抵抗感と警戒心は非常に強かったです。しかし、先生とその教えに出会い、彼の人生哲学、生き方が、真実な神様への愛に基づいた人として尊敬できるものだと、自分が確認し、納得して、受け入れました。今は先生の教えに、人生の希望とビジョンを見出すようになりました。今は毎日が感謝と喜びに満ち、心配や憂いのない日々を過ごしています。ここで少し、考えてみてください。お子さんが、いつ犯罪や事件に巻き込まれるかも分からないのが今の社会です。聖書の教えを元に、犯罪やドラッグなどの危ないものから自ら距離を置くのはもちろん、酒もタバコも好まない健康的な生活をし、ギャンブルなど自堕落な生活にも溺れず健全に、不倫その他の性的堕落をせず、人生を前向きに喜んで生きている姿は、どれだけ親に安心を与えるものでしょうか。私は子を持つ立場になってみて一層、このように教育してくださった先生に感謝の思いが溢れるしかありません。
私は先生という何にも変えがたい人生の師に出会い、人生が好転しました。
今も、国を問わず多くのひとたちが、先生の教えを通して、聖三位、神様を信じることで、高慢から謙虚へ、不平不満から感謝する人生に変化し、また生まれたことや生きていることを喜び、親にも神様にも感謝する人生へと 変化していっています。
ぜひ一度私たちの教会へ足を運んでいただき、愛と平和という聖霊が満ち溢れ、真理があなた方を自由にするであろうという、聖書に書かれた本当の意味で満ち足りた人生を体験する機会をお持ちいただけると幸いです。ありがとうございました。」