Christian Gospel Mission

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キリスト教福音宣教会

キリスト教福音宣教会について

キリスト教福音宣教会きりすときょうふくいんせんきょうかいは1999年に韓国で鄭明析チョンミョンソク牧師によって設立されました。

チョン牧師は、第二次世界大戦が終わった直後の貧しい時代に幼少期を過ごし、人生を生きる意味を切実に探し求めました。そして聖書を読むことで、神様とイエス・キリストを深く知るようになり、師として生きようと決意しました。その後20年以上に渡る修道生活を通して、聖書に隠された神様の人間に向かう大きな「愛」と、人間が人間らしく生きるために必要な「真理」を悟りました。

鄭牧師は、この時代は、科学技術が最高に発達した豊かな時代ではあるけれど、旧約聖書のアモス書*に書かれているように、神様の言葉を聞くことができない精神的な飢饉の時代であることを悟って、福音(聖書の真理)を宣べ伝え始めました。

1978年、鄭牧師がソウルに上京して、福音を伝え始めた時が当宣教会の原点になります。たった一人から始まったこの歩みは、今や世界30カ国に広がり、300以上の教会に数万人の信徒が集うようになっています。

*アモス書8章11節
主なる神は言われる、「見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、主の言葉を聞くことのききんである。

事務局長のことば

キリスト教福音宣教会

近年、私たちを取り巻く社会情勢は急速に変化し続けています。現代は不確実性に満ちた社会だと言われており、多種多様な考えや思想が世の中に溢れる中、何が正しいのか判断することが容易ではない時代です。

このような時代を生きる私たちにとって、人生の進むべき方向性を示してくれる羅針盤となるものが聖書の真理であると、私たちは考えています。自分の個性と価値を分かって、一度しかない人生を本当に甲斐あるものとして生きるために、鄭牧師が教える聖書の真理が大きな助けとなることを信じ、願ってやみません。

キリスト教福音宣教会事務局長

松村 健

キリスト教福音宣教会

理 念

聖書を学ぶ

キリスト教福音宣教会(以下『当宣教会』)では、「御言葉」を教えの根本としています。

御言葉とは、聖書や礼拝の説教など神様が宣布した言葉のことをいいます。神様は旧約・新約聖書の時代を通して人類をどのように導いてこられたのか?そして今、私たちはどのような時代に生きていて、何をすべきなのか?私たちはこの人類の命題ともいえる問いの答えが聖書にあると考え、学んでいます。普遍的な価値を持つといえる聖書には、神様の永遠な愛と真理、人生を生きる上での知恵などが記されています。

聖書は神様と人間、そして自分自身を知るための宝のような書物なのです。

自分を知る

           

当宣教会の創設者である鄭明析牧師は、祈りによる修道生活を送りながら、神様を究極的に呼び求め、聖書を2000回以上も通読しました。創造主神様の御言葉の中に人間創造の秘密が込められていると確信していたからです。鄭牧師が、修道生活を通して得た深い悟りの一つに、神様が人類を創造した目的があります。聖書を学ぶことは、この世界を創造した神様について学ぶことであり、神様が何のために私たちを作ったのか知ることで人間本来の生き方を取り戻すことだと、私たちは考えます。

当宣教会の御言葉は現代社会において、どうすればもっと有意義な生き方ができるのか探している人、神様に社会に自分自身に誠実に生きたいと思っている人、全ての人の道しるべとなります。

神様と共に生きる

鄭牧師は、「今の時代は、人が神様を信じる時代を超えて、神様と共に生きる時代です」と語り続けてきました。

聖書を読むと神様が心を痛められた記述が出てきます。「神様にも喜怒哀楽があるんですか?」と驚かれる方もいるかもしれません。時代背景を踏まえて聖書を読み、神様が各時代の中心的役割を担った人物や救い主イエス・キリストを通して行われたことを学んでいくと、神様は私たちが考える以上に深く人間を愛してくださっていることに気づくようになります。パピルスからコンピューターへと文書保存の技術が進化したように、神様と人間の関係性もより親密な次元へと変化を遂げています。

神様を知り、信じ、愛しながら神様と共に生きる生活、真理と自由意志を基本とした根本的な喜びに満ちた人生。それを私たちは目指しています。

自分自身を天国に作り
そして天国の輪を広げる

聖書に「行いのない信仰は死んだものなのである」*とあるように、当宣教会では御言葉を生活のなかで「行う」ことが重要だと考えています。

           

鄭牧師は、「天国は死んでから行く世界ではなく、生きている間に自分自信の生を天国に、そしてこの地上を天国にしていくことだ」と説き、自らもそのように生きることに挑戦してきました。御言葉を聞いて、祈り、生活のなかでその言葉を行おうとする時、直すべき自分自身の考えや習慣など、自分の中にある矛盾にしばしば出会います。御言葉という「神様の考え」を繰り返し実践し、自分の矛盾を削って、神様に近づくように自分をつくることは簡単ではなく、困難が続くことも多いです。それでも、神様を愛し、より素晴らしい人生を生きたいと願うようになったこと、そしてその可能性を信じられるようになったことに感謝しています。

御言葉を生活の中で行うことで、私たちはまず自分自身を天国につくり、そしてこの地上に天国が広がっていくことを願っています。

           

*新約聖書ヤコブの手紙2章14~17節
わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。 ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、 あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。 信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

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